ファシリーテーターの姿勢と、従来型の授業の大きな違い

ファシリーテーターの姿勢と、従来型の授業の大きな違い
Photo by Amélie Mourichon / Unsplash

時々、子供たち(長男は中学生、長女は小学校二年生、次女は4歳)の授業参観に行くことがあります。その度に、ちょっとした気づきがあります。

今日は、その気づきを通じて「ラーニング・ファシリテーションの姿勢」について、一緒に考えていきたいと思います。

年々、牢屋っぽくなっていく

子供たちが保育所(あるいは幼稚園)のとき、かなり自由に遊べていました。保育士の先生方は、子供たちの様子を見守りながら、各人が楽しく遊んだり、実験したり、探究することを手伝います。

言葉で言い聞かせるのが難しいところもあるので、「プロセス」を使って、子供たちを誘導します。例えば、ゲームを通じて、徐々に静かにして、きちんとした姿勢をとって座るように誘導したりします。

年齢が上がるにつれて、徐々に「お友達が喋る時だから、静かにしようね」という言葉で通じるようになります。年長にもなれば、しっかりと社会のルールを学び始めます。また、うっすらですが「他人の状態を想像」できるようになります。

他者が行う論理的な思考をシミュレートはできなくても、「感情」は予測できたりします。

そして小学校に上がると(小学校の雰囲気によるところが大きいですが)、急にルールが増えるように思います。私の子供たちが通う学校では、少なくとも「ルールが多い」と感じます。

子供たちが失敗しないように、あるいは問題が起こらないように、いっぱいルールを作ります。ルールが多すぎて、そのルールを覚えるのが大変と感じたりします。

また、授業などでは、「先生が意図している答えを言ってほしいオーラ」を先生が出していることを、ヒシヒシと感じます。子供たちは、それを察して、予定調和な授業が進みます。

また、授業も「先生が一番たくさん喋っている」感じです。

他にも、「豊かな体験の背景がないのに、言葉や方法を教える」上に、そこに対する疑問を持つ余地、あるいは時間や、ゆとり、遊びを設けていない印象があります。これは、先生の問題ではなく、教育全体の構造的な問題がもたらしているようにも思います。

そして、中学校に進むと「さらに、締め付け」が強くなります。

  • 他の学年のフロアに立ち入ってはいけない
  • 同じ学年でも、他の教室に入ってはいけない
  • 部活を始めるなら「3年間やり遂げられるか?を自問してから入れ」
  • 宿題が出されたら「未来日記(能率手帳みたいなもの)」に記入する

などのルールが細かく、より自由を失うような感じです。

また授業も、「予定調和」を重んじているように感じます。ハプニングが起こっても、見えなかったことにして、どんどん進もうとします。

まとめると、以下のようになります。

  • 失敗しないための「方法」と「ルール」を事前に用意する
  • 失敗、混乱は「悪いもの」と思って無視する
  • あるいは失敗、混乱への対処方法は、「ルールを増やす」ことで行う
  • 予定調和を重んじている(秩序を重んじる)

となります。

一方、ラーニング・ファシリテーションは、真逆のアプローチのように思います。

以下、詳しく検討していきます。

ハプニングに対して、どう対応するか?

私が息子(中学一年生)の初の授業参観に行った時のことです。私のクラスの場合、私以外は、全て「お母さん」でした。なんとなく、日本の縮図を感じましたが、それは置いておきます。

二人の親が、幼稚園児(妹ちゃんたち)をつれてきていました。授業参観が、午後だったこともあり、幼稚園の子供たちは家に帰ってきたのでしょう。そして、家に置いておくわけにもいかず、つれてきたのでしょう。

さて、2歳から4歳ぐらいの子供たちです。授業参観中に、お兄ちゃんを見つけて、窓に駆け寄ります。そして、小声で「お兄ちゃーん」と呼んだりします。

その呼ばれたお兄ちゃんは、なかなかの人物でした(笑)。ものすごく、優しく接して「しー、だめだよー。タッチ。静かにね」と何度も伝えていました。

お母さんは、大きな声で叱ってしまうと泣き出して大変なので、あやそうとしたり、あっちにつれて行ったり、こっちに・・・などしていました。

あなたは、このような状況で、どう考えますか?

例えば、「非常識な親だ、誰かに預けるかして連れてくるな」と思うでしょうか。そのような考えもあるかもしれませんが、私は「まあまあ、中学校の参観だし、ちょっとしたイベントなんだから、ごちゃごちゃしててもいいじゃないか」と思っています。

一方で、驚いたのは「先生の授業進行」です。

小さな子供が、教室の入り口から、ちょこっと顔を出したりしています。そして、お兄ちゃんを見つけて手を振ったり。あるいは、先生の授業(英語でした)の発音を真似して、外で話してしまったりしていました。

この時、「見なかったこと」にして、どんどん授業を進めます

もちろん、このような態度が普通だと思います。教育の世界、特に小学校、中学校、高校と進むと「秩序」を大切にしているように思います。結果、秩序を乱す現象は、無視するか、抑圧します。

ラーニング・ファシリテーションなら、どうするか?

私たちなら、おそらく「ハプニング」を無視するのではなく、利用します。むしろ、歓迎して「ラーニング」を創造する手助けに使います。

先ほどの小さな子が、チョロチョロ動いてたとします。

まず、お兄ちゃんの対応について「素晴らしい」と伝えると思います。普通は、怒ったり、あっちに行けと邪険にするものです。でも、優しく、何度も伝えています。親の姿勢の影響かもしれませんね。

そのような「人を大切にする姿勢」を、みんなの前で「良いことだ」と伝える。私たちは、単に「能力を与えるのが仕事」ではありません。人として、ともに成長することが教育です。

だったら遠慮せず、「いいね!キミ!」って言えばいいと思います。

そして次に、その小さな子がOKしてくれるのなら、ちょっとした役割を与えて、授業に参加させます。例えば、先生の横に座ってもらって、スライドを次に進めるボタンを押してもらうなど。もちろん、複数の子供がいたら取り合いになるかもしれません。

そしたら、中学生のお兄ちゃん、お姉ちゃんたちにお願いして、一緒に順番にスライドを進めるボタンを受け渡してもらうなど工夫します。

とにかく「ハプニング」というのを歓迎して、それを「ラーニング」や「創造」や「人としてのあり方」を学ぶ機会に使えないか?と考えます。

つまり、ラーニングファシリテーションでは、

「秩序を維持することを至上命題とするのではなく、創造的な場を作る」

ことを重んじます。創造性が宿る場所には、一見、混乱や不安定さに見える状態が必要です。失敗や混乱と呼ばれるものも必要です。でも、それがなければ、新しい何かや、気づきは生まれません。

学校教育に、ラーニング・ファシリテーションが入るのは難しい

子供たちの参観や、学校行事に参加するたびに思うことがあります。私たちは、子供たちの教育にこそ「ラーニング・ファシリテーション」を採用してほしい、採用すべきだと思っています。

このような考えで、数年前にさまざまな試行錯誤、アプローチを行いましたが、断念しました。

ほとんどの先生方は「素晴らしい人々」だと感じています。子供たちのことを大事に思っているし、より良い教育を提供したいと思っていてることを感じます。

しかしながら、 「パラダイムが違う」 と感じます。あるいは、様々な前提が違うと思います。このパラダイムや、前提の違いは「教育システム全体の構造」にも影響を与えています。

強固に出来上がった教育システムに対して(秩序維持型)、ラーニングファシリテーションのアプローチは、「破壊的」(創造的)に映ります。

その結果、「すごくいいと 思うけど 」と評価されてきました。

なかなか埋め難い溝だと思っています。

じゃあ、どうするのか?

できることから、行うしかありません。

例えば、企業研修なら「新しいアプローチを良しとしてくれること」が多いです。新しいタイプのマネジメント、組織で、新しい社員教育を受けた人々は、子供たちの教育に「異質感」を感じるかもしれません。

その結果、別のアプローチを望んだりするかもしれません。

道のりは長いですが、今できる、この場所から、ラーニングを創造していくことが大切だと思います。

以上です